●お楽しみ企画●
このページの文章は、皆様のおかげで無事公演終了した『ゴーストライター』のちょっとした後日談です。演出自身による執筆です!公演にお越し頂いた方はもちろん、そうでない方にも、ぜひお読み頂いて『ゴーストライター』の世界を最後まで楽しんでいただければ幸いです!
『ゴーストライター』後日談
「朝日真夜のティーブレイクタイム」
たとえば自分にとってとても好きなことがあったとして、それができる職に就ける確率というのはどれくらいのものなのだろう。小学校の卒業アルバムに書いた将来の夢を、大人になった今に現実にできた人はどれだけいるのだろう。
きっと、夢を現実にできる人なんて、ほんの一握りの選ばれた人たちだけだ。
だから、今自分が小さいころからのあこがれだった「記者」という職業につけていることは、本当に恵まれたことなのだということを何度も自分に言い聞かせてずいぶん経つ。理想と現実の違い、そんなものはこの先行き不透明な時代には些細な問題なのだと。
テーブルの上の紅茶は運ばれてからしばらく口をつけていないために、湯気も上がらずくたりとしている。外は雨が降りそうなどんよりとした曇り空。紅茶の横にはついさっきボツをくらって記事としての意味を失った何枚かの紙が封筒からはみ出していた。
なんと憂鬱な午後なのだろう。
紅茶に手を伸ばそうとして、ついさっき編集室で言われたばかりの言葉が脳に響く。
『違うネタで書いてこい、出来なきゃクビだ』
編集長はそう言って、私の書いた記事を一蹴した。
私の理想が、現実に打ち破れた瞬間。書きたいものが必ず通るなんて、そんな甘い考えは捨てたはずだったのに。
「どうしろって言うのよ……」
そんなことを呟いて窓の外の曇り空にもう一度目をやった時、ふいに後ろから誰かに声をかけられた。
「合席、いいですか?」
その声にはっとして後ろを向く。そこに立っていたのは、黒いジャケットに身を包んだ若い男性だった。妙に細長い人だと思った。
「はあ、どうぞ……」
「ありがとうございます」
男はそう言って、私のテーブルのもう一つの椅子に座る。私と向かい合う形になった彼は、座ってからしばらくそわそわしたのち、店員にコーヒーを注文してやっと落ち着いたようだった。
なんだか、独特な、不思議な雰囲気を持つ人だ。
威厳は全くない。どちらかといえば弱弱しそうな、それでも別に優しい、とかそういう感じではない。ひょろひょろと頼りない印象。
そんな失礼なことを考えながら、目を伏せたり少し上目にしてみたりを繰り返してその男の様子を観察していると、突然男の口元が動いて声を発した。
「雑誌の記者の方なんですか?」
「えっ?は、はっ」
観察にふけっているところに突然話しかけられたのと、ぴたりと私の職業を言い当てられたこと、二重の意味で動揺した。不幸にもその動揺は、情けない声となって私の口から飛び出してしまった。
なんなんだ、この人。その何とも言えぬ怪しさに、脳内の警報が鳴り響いた。
「どうしてわかったんですか?」
そうしなければいけないような気がして居住まいを正す。私の警戒心むき出しのその声に男は「ああ、すみません」と眉を垂らしながら微笑んだ。
「その封筒。会社名が書いてあるでしょう」
彼はテーブルの上の封筒の隅を指で示した。そこには私の勤め先の社名とシンボルマークが印刷されていた。社員ならだれもが無料で使える封筒だ。確かにこれが目に入れば、私がこの会社の社員、つまりは雑誌記者だと思うのは至極当然だ。脳内警報がだんだん静かになる。
「その記事はあなたが書いたのですか?」
「そうですよ。でも、もうボツにされちゃいましたけどね」
やけに話しかけてくる人だなあと思いながら、言葉を返す。記事をボツにされたことを明かすあたり、自分は誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。
「ボツ?」期待通りの返事。
「お前の書く記事はもう時代遅れなんだって。編集長に一蹴されちゃいました」
「はあ……。ちなみに、それは何を扱った記事なんですか?」
男にコーヒーが運ばれてくる。
「……都市伝説のことなんです」
「へえ!都市伝説!」
勢いよく食いついてきた。コーヒーをすする男の目に輝きが生まれたようだった。ひょっとして、都市伝説系の話が好きなのだろうか?同じ嗜好の人かもしれない、と思うと少し嬉しくなった。
「ええ、今有名な幽霊記者についての記事なんです」
そう言った瞬間、彼が盛大にコーヒーを吹き出した。コーヒーカップを何とか皿の上に置きながらごほごほと咳き込む。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ、大丈夫ですよ、心配しないでください」
彼は涙目でそう答える。店員にも心配されながら布巾でさっとテーブルの上を拭くうちに、徐々に落ち着きを取り戻してきたようだった。
「すみません、ちょっとむせてしまいまして」
「いえ、私は大丈夫ですけど」
「それで、幽霊記者について記事を書いたんですか?」
「はい、そうなんです!」
この人になら、私が日ごろ抑えているあの人物への思いを語ってもいいかもしれない。なぜかそう思えた。
「幽霊記者は本当にすごいんですよ!知ってるかもしれませんが、彼によって世間に公表された情報はどれもこれも普通じゃ調べられないような、かなり踏み込んだ情報ばかりなんです。すごいですよね!最近だと、警察庁の長官の息子が起こした殺人事件と、それに関する冤罪事件のことも発表してましたね!あれも幽霊記者がいなかったらどうなってたのかと思うと、もうほんとにすごいなあって!」
「すごいしか言ってないですね」
「だってそうなんですもの!……あ、でもさっき言った事件は、その前に誰かが記事に書いたとかで話題になってましたよね」
ぴくり、と、彼のコーヒーカップを持つ手が止まったような気がした。でも、それを確かめる間もなく彼はあいまいに微笑んで、「そうだったかな」とつぶやいた。
「そうだと思います。確か、指名手配された人でしたよね。名前は確か……」
「晴れてきたみたいですよ」
「へっ?」
彼に言われて窓の向こうの空に目をやる。確かにいつの間にか曇り空が消え、太陽の光が窓の向こうに輝いていた。
「書いた記事がボツになったことで落ち込んでいたのかもしれませんが、あまり気を落としすぎるのはよくないですよ」
窓の向こうに目を向けたままの私に、彼のそんな言葉が聞こえてくる。
「自分が伝えたいと思ったことを書くのが一番です。そうでなきゃ、伝える意味がありません。まあ、そこそこ需要のある話を、ですけどね」
窓から視線を戻すと、彼はすでに椅子から立ち上がり、こちらをみて微笑んでいた。テーブルの上には、空のコーヒーカップ。
「もう飲んだんですか?」
「ええ。もっとも、半分くらい吹き出しちゃいましたから……」
何とも格好のつかない理由だ。苦笑いしながら頭を掻く彼の姿がなんだかおかしくて、思わずくすりと笑ってしまった。
「ごめんなさい、ちょっとおかしくて……。失礼でしたね」
「いえいえ、お構いなく」
彼はもう行ってしまうのだろう。あまりにも突然で、あまりにも早いお別れ。そう考えると、なんだかこのまま別れてしまうのは少し残念な気がした。彼との会話が私にとって心地よさを感じさせてくれるものだったからかもしれない。
「あなたも記者の方なんですか?」
「え?」
「なんだか、妙に知ってる感じだったので。この仕事のこと」
私の質問に、彼は少し遠い目になる。でもそれは一瞬で、そう思った直後には私の方にあの眉を垂らす微笑みを向けていた。
「ええ。とはいえ、私もまだまだ勉強することが多いので、あまり人に何かを言える立場ではないんですけどね」
彼はそれから「では、お互い頑張りましょうね」と軽く会釈をして、くるりと背を向けてその場から立ち去ろうとする。その背中を見て、私は思わず「待ってください」と彼を引き留めていた。彼の背中が止まり、顔がこちらを覗く。
「あのっ、あっ、アドバイス、ありがとうございます!」
引き留めたくせに何を言えば良いのかぼんやりとしか考えていなかったせいで、そんなどたばたとしたお礼になってしまった。それでも、彼は微笑んで、肩越しに私を見ながらまた小さく会釈をしてくれた。
不思議な人だ。会ったばかりで名前も素性も知らないのに、彼にはすらすらと思っていることを話すことができた。自分でもそれがなぜなのかはよくわからない。けれど、それは、どうせ今後も関わらない相手だから何を言っても、などという消極的なものではなかったことだけは確かだ。
私も、頑張らなければいけないな。
テーブルの上の封筒をカバンに片付けて、私もこの店を出る準備をし始めた。
理想と現実の差を埋めるにはまだまだ自分の力は及ばないことは何となくわかる。けれど、埋めようとしなければいつまでたっても変わらない。
「よっし!」
店内のだれにも聞かれないような声で、座ったまま小さくこぶしを握り締めて気合を入れる。すでに冷めていた紅茶をぐいっとあおるようにして飲んで立ち上がろうとした、その時だった。
『頑張ってね』
女の人の声だった。驚いて振り返るけれど、そこには誰もいないテーブルが並べられているだけだった。いつの間にか店内にはカウンターを除いて私ひとりになっていたらしい。
じゃあ、今の声は……?
聞き間違いかとも思ったけれど、店内に誰もいないのでは何を聞き間違えるのか。
「……気のせいかな」
そう、気のせいだ。気のせいに違いない。ちょっと縁起のいい気のせい。
外は、曇り空が広がっていたなんて嘘みたいな快晴だった。